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千年のまつり
毎年十月の十~十一日の二日間、高砂では町をあげてのおまつりが賑やかにまた勇壮に行なわれます。往時は、「大阪の天神祭か高砂神社の秋祭か」と言われたほど、全国的に有名なおまつりでした。このおまつりは、千年以上続く古式を今に伝える伝統の祭礼であるとともに、今を生きる人々が年ごとの報恩感謝をカのかぎりうたいあげる、躍動する生命力を持った「現在」に生きるおまつりで、高砂の町の秋を彩る人と神のハレの舞台であり、千年続く日本人の原風景です。
盛大なお祭り
神幸祭
十日の神事祭は、高砂神社から大神さまが神輿でおでましになって各辻各町を巡り、守護と恵みをもたらすおまつりです。各町の氏子は、それぞれに趣向を凝らした屋台太鼓 車楽(だんじり)、引き物で行列をつくり、神輿の先導やお伴を勤めます。これらは「にぎわい物」といいます。また、神輿がおやすみになる御旅所では神輿くぐりが行われ、人々は大神さまに日々の幸福と息災を祈ります。神輿が舟にお乗りになって加古川を下る舟渡御は、播州三大祭のひとつに数えられ、大阪天神祭の原形とも云われる、往古の祭礼の姿を今に伝える神事です。昭和三十五年以降中断していましたが、往古の御鎮座縁起に由来した姿を再生させるとともに、海運の要所として栄えた高砂の伝統を永く後世に伝えようという意向のもと、昭和六十年に復活しました。
神幸祭
例大祭
十一日の午前十一時より、例祭が本殿にて厳粛に執り行われ、午後、各町がそれぞれに趣向をこらした屋台をくりだします。例大祭は各町の屋台がそれぞれに神々をお迎えし、町にご加護をいただくためのおまつりなのです。各町の屋台はまず高砂神社に宮入りし、清はらいの神事が斎行されます。その後宮出しが行なわれ、屋台同士がぶつかりあいひしめきあう「練り合わせ」へと続きます。終日、高砂の町々が競いあい協調しあう勇壮で賑々しい光景が繰り広げられます。
激しい練り合わせ

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九日 おひろめ
用意がととのう中で意気が高まり、揃えられたまつりの衣裳やにぎわい物が各町ごとに披露される。
十日 神幸祭
大神さまがわたり、厳かに神威が高まる
●神輿渡御の行列
●鍵開けの神事
●神遷しの神事(遷御の儀)
●神輿御旅所の神事
●獅子頭納め
●神輿潜り抜け行事
神幸祭
舟渡御
舟渡御の神事は、もともと行なわれていた崎宮への渡河と、創建当時の神迎えを毎年再現したものです。大神さまの力を新たに迎え再甦し、町の平安と人々の健康長寿を願ってとり行なわれます。
舟積み行事は、当年の船積町の奉仕により、加古川(大川)の船積場で潮満の佳時を慎重に選んで行なわれます。潮が満ちるまで神輿はじっと据え置かれ、潮を得ると若者は一気呵成に飛び込んでいきます。神輿の鳳凰には稲穂が飾られていて、それは最初に勇気をふるった若者だけに与えられる名誉とされています。
舟渡御の様子
神輿船積み受渡儀式
神輿船積み受渡儀式の様子
神輿船積み受渡儀式(その1)
神輿船積み受渡儀式(その1)の様子
神輿船積み受渡儀式(その2)
神輿船積み受渡儀式(その2)の様子
還御祭(神さまにお還り願う)
舟頼みを終えた神輿舟は、供奉舟、脹い舟を従えて河口から沖合に進み、海上の安全と豊漁に感謝して散領を行ないます。その後、高砂港内で舟上の引継ぎ式が厳粛に執行われ、水揚げ町へと引継がれます。
神輿庫納め
神社前の水揚げ場では、全町の提灯と松明が明々と水面に照り映えるなか、水揚げ行事が行なわれます。神輿舟の到着を待って水揚町の揮姿の若者達が海に飛び込み、差し手のまま鳥居前まで渡御します。ここで神輿町へと引き継がれ、大神さまは遷御されるのです。
十一日 例大祭
大神さまをお迎えし、賑やかに町が色づく。
●例祭
●宮入り
●宮入清祓
●宮出し
●屋台練り合わせ
●手打ち式
●各町蔵納め
煌びやかな神輿

秋祭りQ&A 秋のおまつり質問箱

Q.  秋のおまつりは、いつ、どうしてはじまったの?
A.  天禄年間(九七〇~九七二)、疫病の流行で高砂のたくさんの人が尊い命を失いました。しかし、圓融天皇の命のもと、社司の阿閇正敦が神さまのお告げをいただき、オオナムチノミコトの親神のスサノオノミコトとクシナダヒメをおまつりすると、疫病はおさまりました。そこで天禄三年(九七三)九月十一日、人々は感謝のおまつりを催しました。これが恒例となったのが例大祭です。明治時代に、新暦の十月に斎行されるようになりました。
Q.  神幸祭の「神事」ってどういう意味?
A.  日本のおまつりでは、神さまのお迎えとお送りが基本です。「神幸祭」は、お迎えした神さまがお神輿で町をめぐること自体を、お力のあらわれとして特に大事にするおまつりです。「神幸」は、神さまの御幸(道行き)のことです。本来、天皇の外出来臨(行幸)のことですが、中世より天皇の行幸にならって御輿や鳳輦に御神体をお載せして行列を組むことが一般化し、現在の神事祭にまで続いています。
Q.  行列の前に、なんで天狗がいるの?
A.  いわゆる天狗の姿をしているのは猿田彦大神です。二二ギノミコトが葦原中津国(日本)の統治者として天降る際に、猿田彦は天のヤチマタで一行を迎え、道案内をつとめたといいます。猿田彦は神さまの道案内役なのです。また、猿田彦の「猿」は猿楽の「猿=戯る」の意味で、滑稽な技を演じる意味だともいいます。
Q.  お神輿はなんで辻ごとにねるの?
A.  お神輿を揺り動かすことを「神輿ぶり」といい、その激しさは氏子の生命力の表現だといいます。また、精一杯神輿ぶりをして氏子たちが無心になったとき、神さまに通ずるともいわれます。「神輿ぶり」は、町の全氏子に御神徳をいただくために行ないます。高砂の町は碁盤目のような町づくりになっているので、すべての家屋が道に面しており、家ごとに御神徳がいただけるようになっています。
Q.  お神輿を担ぐ神役の服装が違っているのはなんで?
A.  お神輿を担ぐ若者は、「ほのぼの染(黎染)」という紺(藍)染の襦袢(じゅばん)を着て、白木綿の角帯を背中に井桁に結び白足袋をはきます。神さまがご降臨なさる夜明けのような藍色は魔除けの御神徳をあらわし、実際に藍色には虫除けの効果もありまず。しかし戎町だけは、白木綿の襦袢に赤黄青のすごきの襷と白足袋姿です。昔、神輿船積みの際に川に落してしまったお神輿を、戎町の町民が、とっさに女性のすごき紐の綾襷棒姿で救いあげました。この功績から、戎町では神官の白衣姿に準じて白木綿の襦袢を着ることになりました。
Q.  神幸祭の「神輿ぶり」のときに「千歳楽、万歳楽」っていうのはどういう意味?
A.  「千歳楽、万歳楽」は、神さまのお力とありがたさを讃える言葉で、「千歳楽」で健康長寿を、「万歳楽」で世界の平和と幸福をお祈りしお祝いします。お祝いごとなどで「バンザイ!」というのも、同じ意味です。また「千歳楽、万歳楽」は雅楽の銘で、これを唱えて音楽を演奏したこととするともいいます。
Q.  拝殿の入り口の大提灯はなあに?
A.  おまつりでつりさげられる大提灯は、平成四年に二二五年ぶりに復活しました。宝永六年(一七〇六)奉納の絵馬「祭礼図」には、お神輿の水揚げの目印、お神輿をお迎えする灯として大提灯が描かれています。三つの五ツ木瓜は高砂神社の紋で、三神をあらわします。
Q.  お旅所ってなあに?
A.  神幸祭の途中でお神輿が休まれるお旅所は、本来神さまがご降臨なさる場所でした。お旅所にお神輿が休むのは、神霊の復活更新、神さまのお力が新しく強くよみがえることを願うからです。
Q.  なんでお神輿の前にお獅子がいるの?
A.  獅子は中国伝来の架空動物で、悪霊や火事をはらう神さまの使いとして信仰されています。獅子の雌雄は陰陽をあらわし、万物の成り立ちや阿吽(あうん)を象徴しています。明治に作られ平成三年に修復された雌雄の獅子頭は、お神輿を先導して町内をめぐり、一年の厄や罪汚れをはらって神さまの恵みの福をもたらす役割を担っています。「獅子頭納め」では、氏子中の若者が勇壮な声とともに獅子を登場させて悪霊をはらい、お旅所で休憩なさる神さまをお守りするために神前に納めます。
Q.  なんで、お旅所でお神輿の下をくぐるの?
A.  「神輿くぐり抜け行事」は、お旅所でお神輿が休まれる際に、町の人々がお神輿を左から右へくぐり抜けて家内安全、無病息災をお祈りする行事です。しばらく途絶えていましたが、昭和六一年に復活しました。
Q.  だんじりや屋台をおはらいするのはなぜ?
A.  宮入りしただんじりや屋台を神さまの前でおはらいする行事を、「宮入清祓(みやいりきよはらい)」といい、おまつりに奉仕する人たちの身と心を清らかにする意味があります。お清めした体に神さまのおめぐみをいただき、おまつりの安全や健康をお祈りします。さらに、神さまのみしるしの御幣を授かり、町ごとの発展と安全をお祈りして、おまつりのさまざまな行事に奉仕します。
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